もうだめだ。何も思いつかない。一字文字を打とうとするたびに、一枚画像を開こうとするたびに、自らの空っぽさに底冷えする思いがして手が止まってしまう。私はこのまま一生何も思いつかないのかもしれない。私が一から自力で想像し、作り上げられるものなど無いのだろうか。
……まあ、こんな汚い机で作業していたら思いつくものも思いつかないだろう。少しは片付けよう。
おや……?
ゼリーの空き容器だ。そういえばこの前買ったっけな。
ゼリー、か……
…
……
………
ゼリーくらいなら、自分の想像力でも思いつけるのではないか?
不意にそう思った。
食べ物としての目新しさは強いが、作り方や材料はいたってシンプル。そして何より、「ゼリー」という語感の絶妙なゼリーっぽさ。これなら、もし「ゼリー」というものを知らなかったとしても、想像だけで作ることができるのではないか。
そうと決まれば、一刻も早く挑戦しよう。
自分の想像力を信じろ。ゼリーくらい自力で思いつけると証明するんだ。
そう、ゼリーくらいなら……
「あれ……寝てたのかな」
───おはようございます。調子はどうですか?
「まあ普通ですけど」
───なら良かったです。ところで、この言葉に見覚えはありますか?
「ゼリー……? いや、ちょっとわからないですね」
───そうですか。それで、実はちょっとチャレンジしてもらいたいことがあるんですよ。
「チャレンジ? 何をすればいいんですか」
───これです。
「…………」
「たった今初めて名前を聞いたものを、想像で作れと?」
───まあ完全なノーヒントだとさすがに厳しいと思うので、ゼリーとは「食べ物」であるということはお伝えしておきます。
「あ、そうなんだ。それにしてもかなり広いと思うけど」
───必要な材料は全てこの冷蔵庫の中に揃ってます。これである程度は絞れると思いますが。
「なるほど……ということは、ゼリーは一般家庭でも簡単に作れるような料理なんですか?」
───はい、ゼリーを作るのに特別な材料や器具は必要ありません。誰でも作れて、どこにでも売っているようなありふれた食べ物です。
「へー……じゃあなんで知らないんだろう」
───それは……なぜでしょうね。
───そしてこれが今回のルールです。基本的なことですが忘れないでくださいね。それではチャレンジスタート!
●1品目 ●
「いや、悪いけどこんなのすぐ当てちゃうよ? 」
「料理なんて、ここらへんの材料を適当に混ぜて焼けばだいたいはそれっぽくなるでしょ。ゼリーもどうせそういうものなんじゃないの?」
「はい完成。これがゼリーです」
───ホットケーキじゃん。
「ホットケーキだね」
───ホットケーキじゃなくてゼリーを作ってくださいよ。
「ダメか……でも、当たらずも遠からず、くらいの答えだったんじゃない?」
───いや、全然違います。
●2品目●
「さすがにちゃんと推理しないとダメか……でも『ゼリー』っていう名前がそもそも食べ物っぽくないんだよな。だいたい食べ物に『ゼ』なんて文字使わなくない?」
───そうですか?
「あ、でもボロネーゼとかは『ゼ』が付くか。あとはジェノベーゼ、カプレーゼとかも。ということは……」
───何かわかりましたか。
「完全にわかった。ゼリーはイタリア料理。なぜなら『ゼ』が付く食べ物はイタリアにしか存在しないから」
───大胆な仮説ですね。
「そうと決まれば……」
「はい、出来ました」
───なんですかこれ。ナポリタンの具?
「いや、これがイタリアの伝統的な家庭料理『ゼリー』です。冷蔵庫にあるもので最大限イタリアンっぽいものを作ろうとしたらこうなりました。パスタの麺がないのは想定外だったけど……」
「これだけだと味が濃いのでご飯にかけて食べることにします。かつてのイタリアでは飛行艇乗りたちが地中海を眺めながらこれを食べていたのか……」
───そんなわけないでしょ。『紅の豚』にこんな料理出てきませんよ。
「それではいただきます」
───どうですか?
「給食みたいでおいしい」
───イタリアはどうしたんだよ。
「いやでも、これがゼリーである可能性はまだ捨てきれないはず! 頼む当たっててくれ!」
───ハズレです。これはゼリーでもイタリア料理でもありません。
●3品目●
「ゼリー…ゼリーなあ……名前的に洋のものだとは思うんだけどそれにしても手がかりがなさすぎる……」
───何書いてるんですか?
───だいぶ難航してるみたいですね。
───なんですか、『0(無)に関する液体の飲み物』って。
「ゼリーの語源はゼロなんじゃないかと思ったんだけど……これヒントがないと無理だよ」
───それではヒントを出しましょう。ゼリーとは食事として食べるような、いわゆる「料理」ではありません。
───そういう意味では、この『進んで食す必要がない嗜好品』というのは当たってますね」
「マジで!? じゃあ次こそ当たるかもしれない……」
「これらの材料を弱火でよく煮込みます」
「ホールスパイス類→パウダースパイス類の順番で鍋に入れて……」
「ある程度素材の風味が抽出できたら、漉して別の容器に移します」
「冷蔵庫でよく冷やしたら完成!」
「これがゼリーです。いわばコーヒーや紅茶と同じような嗜好飲料ですね」
───ぱっと見はお茶ですけど、なんか不穏な濁り方をしてますね。味はどうですか?
「…………」
───ふさぎ込んでしまった。
「これはダメだ。飲んだ瞬間に、嫌いな虫を見た時と同じ悪寒が全身に走る」
───責任を持って全部飲んでくださいね。
「これを全部は無理だって……せめて何かで薄めないと」
「牛乳で割れば多少は飲みやすくなるかもしれない」
───どうですか?
「………完全にチャイだ」
───え?
「唐辛子を入れたからピリッとするけど、そのスパイス感も含めて本場のチャイって感じがするな。砂糖を入れたらもっと美味しくなると思う」
───まあ材料にシナモン・カルダモン・クローブ(チャイの基本的なスパイス)が入ってましたからね。
「スパイスっぽいものを適当に寄せ集めただけだから気付かなかった……いやあ、人って頑張れば一からチャイを作ることができるんですね」
───いや、チャイじゃなくてゼリーを作ってください。
●4品目●
「ていうかさあ……そもそもなんで俺がこんなことしなきゃいけないんだよ。別に料理のプロでもないのに」
───次で最後なんですからやる気出してください。さっきのドリンクも、調理法自体は割と近かったですよ。
「そんなこと言われても……さすがに無理な気がしてきた」
「もう一回聞くけど、本当に冷蔵庫に入ってるものだけで作れるんだよね?」
───はい、作れます。
「本当かよ……ゼリーゼリーゼリー…………ん?」
「ゼラチン……?」
───おっ!
「………ゼラチンって何?」
※ゼリーの記憶が消えた際、その周縁にあったゼラチンの記憶も一緒に消えてしまった模様
「とりあえず開けてみるか……何これ? 砂糖? でも甘くはないな」
「水に混ぜてみよう」
───順調ですよ!
「…………」
「なんにもならんじゃねえか! 何が順調だ!!」
───いや、本当にあと少しのところまで来てるんですよ!
「もう知らん!! 俺は部屋に戻るからな!!」
───ちょっと!
〜約2時間後〜
「YouTube観てたらすっかり夕方になっちゃったな。おやつでも食べよう」
「……ん? なんだあれ」
「ああ、さっきのゼラチン水か。こんなもんさっさと捨て……」
「……んん??」
「固まってる!?」
───ようやく気がつきましたか。
「なんだよこれ……もしかしてこれが『ゼリー』なのか?」
───まあ、半分は正解ですね。
「こんな味のないものが!?」
───だから「半分」ですよ。ここまできたらちゃんとしたゼリーも作ってみましょう。
「とにかくこの『ゼラチン』を水に混ぜればさっきみたいに固まるんだよね? でもそれだけじゃダメなのか」
「……そういえばさっきスパイスドリンクを作った時、『調理法は近い』って言ってたよね?」
───言いましたね。
「ということは、熱したお湯にゼラチンを混ぜるってこと?」
───その通り!
「それじゃあ水を火にかけて、温まったらゼラチンを入れ……」
「これだけだと味がしないので砂糖も適量入れて……」
「よく混ざったら別の容器に移して冷やす。これで合ってる?」
───お見事! 大正解です!
〜数時間後〜
「そろそろ固まったかな」
───見てみましょうか。
「スプーンが刺さる!! めちゃくちゃ固まってるじゃん!!」
「これが『ゼリー』か……」
───お味はいかがですか?
「……味はまあ、甘いだけだね。でも食感がおもしろい。今までに食べたどの食べ物にも似てないというか」
───ちなみにこれが市販のゼリーです。
「果物が入ってるのか! これも食べていい?」
───どうぞ。
「うまっ!! 全然違うじゃん!!」
───まあ手作りとは違いますからね。
「今まで知らなかったのがもったいないくらいだな……ただ、こっちを食べてからだと自作のを食う気が失せるけど」
───まあとにかく、ゼリー作りは成功です! おめでとうございます!
───それでは改めて、自分の想像力だけでゼリーを作ってみた感想を聞かせてください。
「ヒントがあってようやくわかったから自分の想像力だけっていう気はしないけど、まさか正解できるとは思ってなかったね」
───自信はつきましたか?
「自信? まあ、やればできるんだな、とは思った。自分の想像力も捨てたもんじゃないなって」
───そうですか。なら良かったです。
───これならもう、元に戻っても大丈夫ですね。
「?」
───それではこの薬を飲んでください。
「急に何!? 何この薬!?」
───今のあなたにとって必要な薬ですよ。身体に害はないので安心してください。
「本当に大丈夫なのね? じゃあ飲むけど……」
「うっ……」
いつの間にか眠っていたようだ。変な夢を見ていた気もするが、よく思い出せない。
一体何時間眠っていたのか、時計を見るともう夜である。 今日も一日を無駄にしてしまった。まあいい、腹も減ってるし何か食べることにしよう。
おや……?
ゼリー? こんなのあったっけ。
………なんだこれは。手作りにしてもひどいな。具は入ってないし、味も薄いし、まるでただ水を固めただけじゃないか。一体誰が何のためにこんなゼリーを作ったんだ?
それなのに。
こんな食べ応えのない、言ってしまえばまずいゼリーだというのに……
……どうして涙が止まらないんだ?
泣きながらゼリーを口に運び続け、気がつくと完食していた。栄養があるものではないはずなのに、なぜか全身にエネルギーが満ち溢れてくる。
私は食べ終えた食器を片付けるのも忘れ、自分の部屋に戻った。何も思いつかないと嘆いていたのが嘘のようだ。想像力が、創作意欲が、奔流のように頭の中を駆けめぐっているのを感じるである。
それから私は日々試行錯誤を重ね、頭の中にあるアイデアを具現化することに全力を費やした。3歩進んで2歩下がるような毎日だったが、あの日食べたゼリーの味を思い出すと、不思議と出来ないことはないと思えるのだった。
そして長い時間をかけ、とうとう一つの作品が完成した。これがどのように評価されるかはわからないが、私は自信を持ってこの作品を世に送り出すことができるだろう。
(野球盤誕生秘話・完)