これで雨の日もコインランドリーに行かなくて済むぞ
これで雨の日もコインランドリーに行かなくて済むぞ
彩雲と申します。
まずはこちらのシャツをご覧ください。
これは私が5年ほど前に買って、以来ずっと着続けているシャツです。
一見しただけでは5年という歳月の重みは感じられないかもしれませんが……
よく見ると袖口が完全にほつれきっています。というか、この状態って「ほつれ」の域に収まるのでしょうか。もはや「損傷」では?
また、このジーンズ。派手に破けていますがヴィンテージでもなんでもなく、新品を履き続けているうちにこのような状態になっていました。
そしてこのジーンズ、絶対にダメージ加工を施してはいけない部分に穴が空いています。これで外歩いててよく何も言われなかったな。
この他にも「生地が磨耗してお色気衣装のようにスケスケになったスウェットパンツ」や「腹部に謎の小さな穴が無数に空いているTシャツ(調べたところ虫食いでもなかったので、私のへそから溶解液が分泌されているとしか思えない)」などが我が家のタンスには眠っているのですが、つまり……
ということです。
こんな服を着続けていても社会的信用を損なうだけなので早く買い替えたいのですが、なかなか決心がつきません。というのも、新しい服を買うことを考えると以下のような葛藤が頭をもたげてくるからです。
こんな風に考えて、ついつい服を買うのを先延ばしにしてしまうのです。自分がそこまで価値を感じていないものにお金を払うというのは、どうしても気がひけるものですからね。
ではなぜ私が新しい服に価値を感じないのかというと、結局のところ今の服が「着れてしまう」からではないか、と思います。
私のようなファッションに無頓着な人間からすれば、「物理的に着れる服」と「着ても大丈夫な服」は同じもの。だからあえて新しい服を買うという選択肢が生まれないのです。
とはいえ、このままボロボロの服を着続けるわけにもいきません。そこで私はこのような解決策を考えました。
話は簡単です。今持っている服が着れてしまうのがいけないのなら、全ての服を「完全に着ることのできない状態」にすればよいのです。そうすれば、さすがに私も新しい服を買わざるを得なくなるでしょう。
さて、一口に「服を着ることのできない状態にする」と言ってもいろいろな方法が考えられますが、私は服をあるものに加工することを思いつきました。
そう、食器です。
というわけで、持っている服を全て食器にしていきます。
「なんで?」と聞かれても困ります。私だってなぜ自分がこんな結論にたどり着いてしまったのかわかりません。申し訳ないとは思いますが、人生万事塞翁が馬ということで飲み込んでもらえると助かります。
それでも納得できないという方は、ご自身で「服を食器にする合理的な理由」を考えていただき、以下の自由記述欄に入力すれば擬似的に真っ当な記事の流れを作り出すことが可能です。ぜひご活用ください。
というわけで、持っている服を全て食器にしていきます。
「服を食器にする」と聞いてもピンとこない方もいるでしょうから、まずはそのやり方をご説明しましょう。
●用意するもの
・服
・型取り用の食器
・裁ちばさみ
・洗濯糊
・刷毛
・ラップ
・マスキングテープ
●作り方
服は襟や袖口などの生地が重なっている部分を切り落とし、型取りする食器の大きさに合わせて裁断します。食器は汚れないようにラップでくるんでおきましょう。
次に、裁断した服をマスキングテープで食器に仮止めし、洗濯糊を薄めずに刷毛で塗っていきます。生地を重ね貼りする要領でやると仕上がりがきれいになり、強度も高くなります。
そして屋外や暖かい場所に放置して乾かします。冬場でも丸一日乾かせばパリパリに固まりました。
固まったらマスキングテープを剥がし、余分な布をカットして形を整えれば完成!
とても素敵なお皿ができましたね。
これを繰り返して全ての服を食器にしていくというわけです。難しい作業ではありませんが、あるべき因果から外れたことをしているという感覚が少しずつ心を蝕んでくるので注意が必要です。作業の合間に好きな音楽を聴くなどして気持ちが安定するようにした方がいいと思います。
そしてこれが、私の持っている「全ての服」。詳しい内容は以下の通りです。
Tシャツ6枚、Yシャツ6枚、インナー3枚、パーカー1枚、長ズボン3本、半ズボン4本、パンツ3枚、靴下5足、パジャマ1組
一般的な意味での服の所持数としては少ないですが、食器にすると考えたら十分すぎるほどの量。家族や友達からの「もっと服を買った方がいい」という忠告を無視し続けていてよかったです。
それでは早速、全ての服を食器にしていきましょう! がんばるぞ!!
※さっきから便宜上「『全ての服』を食器にする」とは言っていますが、私にも生活というものがありますので、さすがに一着分は服を残しています。筋を通すのであれば文字通り「全て」の服を食器にすべきなのかもしれませんが、この冬の時期に着るものがなくなるのはあまりに酷ですし、また私が体調を崩すことによって迷惑のかかる相手もいますので、これらの事実と記事の厳密さを天秤にかけた結果、前者を優先することに決めました。しかし、そういった諸々の事情を全てかなぐり捨てリアリティを追求することが美徳なのだと言われたら、私とてそれに反論する言葉は持ちません。皆さんはどう思いますか?
この食器製作、完全にただの単純作業なので特筆すべきことが全く起こりません。どうしよう。
そうだ、せっかくだし服を食器にする上で役立つコツを皆さんにご紹介しましょう。
☆その1☆ 上手な服の切り方
服を裁断する時は、なるべくきれいな長方形になるように切ると、いろいろな形の食器に活用できて使いやすいです。
…
……
………
すみません、いろいろ考えたのですがこの作業においてコツと呼べるようなものはこれ一つしか思いつきませんでした。逆に言えばこれさえ押さえておけば誰でも服を食器にできるので、ぜひ皆さんも挑戦して私と同じ虚無感を味わってみてください。
『人にやさしく』を聴いています。
さて、言うこともなくなったのでさっさと終わらせてしまいましょう。
終わりました。
結果的に4週間かかりましたが、ついに全ての服を食器にすることに成功しました。その成果をご覧ください。
誰がこんな光景を想像できたでしょうか。私が持っていた服は、全て食器になってしまいました。「全ての服を食器にする」と、言葉では何度も言ってきましたが、こうして出来上がった実物を見るとクラクラしてきます。今更ながら「取り返しのつかないことをしてしまった」という思いが強く湧き上がってきました。なんでこんなことをしたんでしょうね。
念のため、加工前の服の写真と見比べてみましょう。
どういうこと???
自分でやっといてなんですけど、「そんなわけないだろ」としか言いようがありません。よく知りませんが、こういうのを「シュール」と言うのでしょうか?
……しかし、これらの食器をしばらく眺めているうちに、どこか清々しい気分になってきました。そもそも私がこのようなことを始めるに至ったきっかけは、「新しい服を買う決心をつけるため」だったはず。そして持っている服が全て食器になってしまった以上、私も覚悟を決めざるを得ません。
というわけで、ようやく新しい服を買うことができました。いっても8000円くらいだろと思ってたら12000円したので会計時は手が震えました。でも、これらの服をまた5年とか着続けると考えれば高い買い物ではないのでよしとしましょう。
少々荒療治ではありましたが、これくらいのことをしないと私はいつまでもボロボロの服を着続けたままだったのかもしれません。
そしてこんなに食器を作ったからには、これを実際の食事に使わない手はありません。丹精込めて作ったものですし、せっかくならおいしい料理を盛り付けたいですね。
さあ、今日はごちそうです。私の好きなものばかりを集めた夢のような献立が完成しました。自分の服で作った食器で、自分の好きな料理を食べる。これ以上のねぎらいがあるでしょうか。これでこそ服を食器にした甲斐があるというものです。
それではいただきます!
ごちそうさまでした。
この通り、服で作った食器でも食事に使うことができました。しかし使い心地はお世辞にも良いとは言えず、またすっかり忘れていましたが加工時に使った洗濯糊の安全性についても不安が残るので(食事中に気づき、以降は料理の味がわからなくなりました)、こんな食器を使う価値は全くないと思います。皆さんは服でできた食器でご飯を食べないようにしてください。
だいたい服なんて所詮ただの布なのですから、いくら食器の形に加工したところで食事に使えるわけがないではないですか。人を馬鹿にしないでほしいです。
でもそれはそれとして、「捨てられないものを食器にする」というのは、断捨離の手段としては有効であるように感じました。未練も何も無くなるからです。
服に限らず何か捨てられないものがあるなら、それを食器にしてみてはいかがでしょうか? 片付けが苦手な方、昨年の大掃除で捨てそびれたものがある方はぜひ試してみてくださいね。
それでは2021年も頑張っていきましょう。
もうだめだ。何も思いつかない。一字文字を打とうとするたびに、一枚画像を開こうとするたびに、自らの空っぽさに底冷えする思いがして手が止まってしまう。私はこのまま一生何も思いつかないのかもしれない。私が一から自力で想像し、作り上げられるものなど無いのだろうか。
……まあ、こんな汚い机で作業していたら思いつくものも思いつかないだろう。少しは片付けよう。
おや……?
ゼリーの空き容器だ。そういえばこの前買ったっけな。
ゼリー、か……
…
……
………
ゼリーくらいなら、自分の想像力でも思いつけるのではないか?
不意にそう思った。
食べ物としての目新しさは強いが、作り方や材料はいたってシンプル。そして何より、「ゼリー」という語感の絶妙なゼリーっぽさ。これなら、もし「ゼリー」というものを知らなかったとしても、想像だけで作ることができるのではないか。
そうと決まれば、一刻も早く挑戦しよう。
自分の想像力を信じろ。ゼリーくらい自力で思いつけると証明するんだ。
そう、ゼリーくらいなら……
「あれ……寝てたのかな」
───おはようございます。調子はどうですか?
「まあ普通ですけど」
───なら良かったです。ところで、この言葉に見覚えはありますか?
「ゼリー……? いや、ちょっとわからないですね」
───そうですか。それで、実はちょっとチャレンジしてもらいたいことがあるんですよ。
「チャレンジ? 何をすればいいんですか」
───これです。
「…………」
「たった今初めて名前を聞いたものを、想像で作れと?」
───まあ完全なノーヒントだとさすがに厳しいと思うので、ゼリーとは「食べ物」であるということはお伝えしておきます。
「あ、そうなんだ。それにしてもかなり広いと思うけど」
───必要な材料は全てこの冷蔵庫の中に揃ってます。これである程度は絞れると思いますが。
「なるほど……ということは、ゼリーは一般家庭でも簡単に作れるような料理なんですか?」
───はい、ゼリーを作るのに特別な材料や器具は必要ありません。誰でも作れて、どこにでも売っているようなありふれた食べ物です。
「へー……じゃあなんで知らないんだろう」
───それは……なぜでしょうね。
───そしてこれが今回のルールです。基本的なことですが忘れないでくださいね。それではチャレンジスタート!
●1品目 ●
「いや、悪いけどこんなのすぐ当てちゃうよ? 」
「料理なんて、ここらへんの材料を適当に混ぜて焼けばだいたいはそれっぽくなるでしょ。ゼリーもどうせそういうものなんじゃないの?」
「はい完成。これがゼリーです」
───ホットケーキじゃん。
「ホットケーキだね」
───ホットケーキじゃなくてゼリーを作ってくださいよ。
「ダメか……でも、当たらずも遠からず、くらいの答えだったんじゃない?」
───いや、全然違います。
●2品目●
「さすがにちゃんと推理しないとダメか……でも『ゼリー』っていう名前がそもそも食べ物っぽくないんだよな。だいたい食べ物に『ゼ』なんて文字使わなくない?」
───そうですか?
「あ、でもボロネーゼとかは『ゼ』が付くか。あとはジェノベーゼ、カプレーゼとかも。ということは……」
───何かわかりましたか。
「完全にわかった。ゼリーはイタリア料理。なぜなら『ゼ』が付く食べ物はイタリアにしか存在しないから」
───大胆な仮説ですね。
「そうと決まれば……」
「はい、出来ました」
───なんですかこれ。ナポリタンの具?
「いや、これがイタリアの伝統的な家庭料理『ゼリー』です。冷蔵庫にあるもので最大限イタリアンっぽいものを作ろうとしたらこうなりました。パスタの麺がないのは想定外だったけど……」
「これだけだと味が濃いのでご飯にかけて食べることにします。かつてのイタリアでは飛行艇乗りたちが地中海を眺めながらこれを食べていたのか……」
───そんなわけないでしょ。『紅の豚』にこんな料理出てきませんよ。
「それではいただきます」
───どうですか?
「給食みたいでおいしい」
───イタリアはどうしたんだよ。
「いやでも、これがゼリーである可能性はまだ捨てきれないはず! 頼む当たっててくれ!」
───ハズレです。これはゼリーでもイタリア料理でもありません。
●3品目●
「ゼリー…ゼリーなあ……名前的に洋のものだとは思うんだけどそれにしても手がかりがなさすぎる……」
───何書いてるんですか?
───だいぶ難航してるみたいですね。
───なんですか、『0(無)に関する液体の飲み物』って。
「ゼリーの語源はゼロなんじゃないかと思ったんだけど……これヒントがないと無理だよ」
───それではヒントを出しましょう。ゼリーとは食事として食べるような、いわゆる「料理」ではありません。
───そういう意味では、この『進んで食す必要がない嗜好品』というのは当たってますね」
「マジで!? じゃあ次こそ当たるかもしれない……」
「これらの材料を弱火でよく煮込みます」
「ホールスパイス類→パウダースパイス類の順番で鍋に入れて……」
「ある程度素材の風味が抽出できたら、漉して別の容器に移します」
「冷蔵庫でよく冷やしたら完成!」
「これがゼリーです。いわばコーヒーや紅茶と同じような嗜好飲料ですね」
───ぱっと見はお茶ですけど、なんか不穏な濁り方をしてますね。味はどうですか?
「…………」
───ふさぎ込んでしまった。
「これはダメだ。飲んだ瞬間に、嫌いな虫を見た時と同じ悪寒が全身に走る」
───責任を持って全部飲んでくださいね。
「これを全部は無理だって……せめて何かで薄めないと」
「牛乳で割れば多少は飲みやすくなるかもしれない」
───どうですか?
「………完全にチャイだ」
───え?
「唐辛子を入れたからピリッとするけど、そのスパイス感も含めて本場のチャイって感じがするな。砂糖を入れたらもっと美味しくなると思う」
───まあ材料にシナモン・カルダモン・クローブ(チャイの基本的なスパイス)が入ってましたからね。
「スパイスっぽいものを適当に寄せ集めただけだから気付かなかった……いやあ、人って頑張れば一からチャイを作ることができるんですね」
───いや、チャイじゃなくてゼリーを作ってください。
●4品目●
「ていうかさあ……そもそもなんで俺がこんなことしなきゃいけないんだよ。別に料理のプロでもないのに」
───次で最後なんですからやる気出してください。さっきのドリンクも、調理法自体は割と近かったですよ。
「そんなこと言われても……さすがに無理な気がしてきた」
「もう一回聞くけど、本当に冷蔵庫に入ってるものだけで作れるんだよね?」
───はい、作れます。
「本当かよ……ゼリーゼリーゼリー…………ん?」
「ゼラチン……?」
───おっ!
「………ゼラチンって何?」
※ゼリーの記憶が消えた際、その周縁にあったゼラチンの記憶も一緒に消えてしまった模様
「とりあえず開けてみるか……何これ? 砂糖? でも甘くはないな」
「水に混ぜてみよう」
───順調ですよ!
「…………」
「なんにもならんじゃねえか! 何が順調だ!!」
───いや、本当にあと少しのところまで来てるんですよ!
「もう知らん!! 俺は部屋に戻るからな!!」
───ちょっと!
〜約2時間後〜
「YouTube観てたらすっかり夕方になっちゃったな。おやつでも食べよう」
「……ん? なんだあれ」
「ああ、さっきのゼラチン水か。こんなもんさっさと捨て……」
「……んん??」
「固まってる!?」
───ようやく気がつきましたか。
「なんだよこれ……もしかしてこれが『ゼリー』なのか?」
───まあ、半分は正解ですね。
「こんな味のないものが!?」
───だから「半分」ですよ。ここまできたらちゃんとしたゼリーも作ってみましょう。
「とにかくこの『ゼラチン』を水に混ぜればさっきみたいに固まるんだよね? でもそれだけじゃダメなのか」
「……そういえばさっきスパイスドリンクを作った時、『調理法は近い』って言ってたよね?」
───言いましたね。
「ということは、熱したお湯にゼラチンを混ぜるってこと?」
───その通り!
「それじゃあ水を火にかけて、温まったらゼラチンを入れ……」
「これだけだと味がしないので砂糖も適量入れて……」
「よく混ざったら別の容器に移して冷やす。これで合ってる?」
───お見事! 大正解です!
〜数時間後〜
「そろそろ固まったかな」
───見てみましょうか。
「スプーンが刺さる!! めちゃくちゃ固まってるじゃん!!」
「これが『ゼリー』か……」
───お味はいかがですか?
「……味はまあ、甘いだけだね。でも食感がおもしろい。今までに食べたどの食べ物にも似てないというか」
───ちなみにこれが市販のゼリーです。
「果物が入ってるのか! これも食べていい?」
───どうぞ。
「うまっ!! 全然違うじゃん!!」
───まあ手作りとは違いますからね。
「今まで知らなかったのがもったいないくらいだな……ただ、こっちを食べてからだと自作のを食う気が失せるけど」
───まあとにかく、ゼリー作りは成功です! おめでとうございます!
───それでは改めて、自分の想像力だけでゼリーを作ってみた感想を聞かせてください。
「ヒントがあってようやくわかったから自分の想像力だけっていう気はしないけど、まさか正解できるとは思ってなかったね」
───自信はつきましたか?
「自信? まあ、やればできるんだな、とは思った。自分の想像力も捨てたもんじゃないなって」
───そうですか。なら良かったです。
───これならもう、元に戻っても大丈夫ですね。
「?」
───それではこの薬を飲んでください。
「急に何!? 何この薬!?」
───今のあなたにとって必要な薬ですよ。身体に害はないので安心してください。
「本当に大丈夫なのね? じゃあ飲むけど……」
「うっ……」
いつの間にか眠っていたようだ。変な夢を見ていた気もするが、よく思い出せない。
一体何時間眠っていたのか、時計を見るともう夜である。 今日も一日を無駄にしてしまった。まあいい、腹も減ってるし何か食べることにしよう。
おや……?
ゼリー? こんなのあったっけ。
………なんだこれは。手作りにしてもひどいな。具は入ってないし、味も薄いし、まるでただ水を固めただけじゃないか。一体誰が何のためにこんなゼリーを作ったんだ?
それなのに。
こんな食べ応えのない、言ってしまえばまずいゼリーだというのに……
……どうして涙が止まらないんだ?
泣きながらゼリーを口に運び続け、気がつくと完食していた。栄養があるものではないはずなのに、なぜか全身にエネルギーが満ち溢れてくる。
私は食べ終えた食器を片付けるのも忘れ、自分の部屋に戻った。何も思いつかないと嘆いていたのが嘘のようだ。想像力が、創作意欲が、奔流のように頭の中を駆けめぐっているのを感じるである。
それから私は日々試行錯誤を重ね、頭の中にあるアイデアを具現化することに全力を費やした。3歩進んで2歩下がるような毎日だったが、あの日食べたゼリーの味を思い出すと、不思議と出来ないことはないと思えるのだった。
そして長い時間をかけ、とうとう一つの作品が完成した。これがどのように評価されるかはわからないが、私は自信を持ってこの作品を世に送り出すことができるだろう。
(野球盤誕生秘話・完)
父が再婚したと聞いたのは高校生の時のことだった。
私が幼い頃に両親は離婚しており、以来母子家庭で育ってきたため、正直なところ父に関する思い出は希薄である。だから、その話を聞いても特に思うことはなかった。
それから時は流れ2018年、私・父・再婚相手の女性の3人で食事をする機会があった。なぜそんな話になったのか覚えていないが、焼肉をおごってくれると言うのでホイホイとついていったのである。初めは気まずさもあったが、父の再婚相手のYさんは気さくな方で、すぐに打ち解けることができた。
その焼肉屋で、Yさんがかつて某有名映画監督が館長を務める美術館で働いていた、という話になった。
「へー! その美術館なら僕も小さい頃よく行ってましたよ」
「そうなんだ。でも私はすぐ辞めちゃったから」
「なんで辞めちゃったんですか?」
「監督とケンカして、ラスクを投げつけて辞めた」
「そりゃ傑作だ(笑)」
酒の席でのことだったし、私もけっこう酔っていたのでその時は深掘りしなかった。そもそも2年も前のことなので、この会食のこと自体すっかり記憶の奥底に埋もれていたはずだった。
だが最近になって、フラッシュバックのように唐突にこの時のYさんの発言を思い出した。
どういうこと???
言っておくとこの「監督」とは、どんなに映画に疎い人でも絶対に名前は聞いたことがあるであろうレベルのマジの大物監督である。一体、そんな監督とYさんの間に何があったというのだろうか。
というわけで、2年越しにこの話の真相を確かめるべく、Yさんに連絡を取って詳しい話を聞かせてもらうことにした。
Yさん
私の父の再婚相手で、あの有名映画監督にラスクを投げつけた張本人。
現在はガラス作家をやっている。
───よろしくお願いします。本日は、Yさんが昔勤めていた美術館でのことについてお聞きしたいんですが。
「はい、なんでしょうか」
───以前お会いした際、その美術館に勤めていた時に某有名映画監督にラスクを投げつけたとおっしゃっていた覚えがあるのですが、これは本当なんですか?
「本当です」
───本当だった……!
「正確に言えば、まず先に監督にラスクを投げられたので、私も投げ返したんです」
───あ、監督が先だったんですね。それにしても、なぜそんなことに?
「まず前提をお話しすると、私はその美術館の、カフェスペースのオープニングスタッフだったんです。もう20年近く前のことですね」
───ということは、元々は監督のファンだったんですか?
「いや全然」
───ファンじゃないのにそこのオープニングスタッフになる人っているんだ。
「当時私はパティシエをやってたんですけど、その時の師匠にあたる人が美術館の関係者と知り合いで、それで引き抜かれたんです」
───まあ確かに、ファンだったらラスクは投げつけないですよね。それで、そのカフェはどういう職場だったんでしょうか。
「そこは『お母さんが子供たちに作ってあげるようなご飯を出したい』っていうのがコンセプトで。だからスタッフも、普通の店の味にしたくないっていう理由で私たち以外は全員未経験者だったし、材料もかなりオーガニックにこだわってたんです。とにかく、オーガニックにできるものは全てオーガニックだったので」
───20年前でそれはかなり新しいですね。
「でも私は美味しければいいじゃんっていう考えだったので、全然興味はなかったです。じゃあなんで入ったんだって話だけど」
───そういうのは実際に働き始めるまで知らなかったんですか?
「私の師匠は知ってたそうですけど、自分のやり方をどうにか押し切れると思ってたらしくて」
───コンセプトに賛同したわけではなく。
「そうです。結局、オーガニックのものって安定供給ができないんですよ。彼はそれじゃあ商売として成り立たないでしょって上に言ってたらしいけど、それは聞き入れられなかったそうです」
───実際にカフェがオープンしてからは、どのような状況だったんでしょうか。
「当時はまだプレオープンの段階だったんですけど、それでも1日に1200人くらいお客さんが入ってたんです。でも発注が追いつかなくて材料は足りなくなるし、スタッフも経験者じゃないので手際が良くなくて」
───なかなかうまくはいかなかった?
「はい。だから経営サイドからは怒られるけど、監督はコンセプト通りにやれと言う。私の師匠は師匠で、客は帰せないからって勝手に知り合いに材料を発注しちゃうし……もうめちゃくちゃでしたね。立場的に私は板挟みで、私一人がすごく殺伐としてた」
───それは大変ですね……。
「他のスタッフも私のことを怖がってたし、厨房はかなりピリピリしてましたね。多分その頃には監督も、何か様子がおかしいということは気付き始めてたんじゃないかと思います」
───そういう積み重ねの果てに、監督にラスクを投げつけるという事態になったんですか?
「そうですね。そのラスクは売り物ではなくて、コーヒーの付け合わせで出すサービスだったんですけど、厚さとか形がちゃんと決められてたんです」
───そんなところまでこだわってたんだ。
「でも実際にはわざわざラスク用に生地を作る余裕がなくて。カフェの店長は『サンドイッチを作る時に出る食パンの切れ端をラスクにしていいよ』って言ってたので、ずっとそうやって作ってました」
───まあ仕方ないですよね。
「で当時、終業後に監督がふらっとカフェにやって来て、コーヒーを飲んでいくことがあったんです。それである時、そのラスクをコーヒーと一緒に出したら、そこでぶちっときたらしく。なんだこのラスクは、と始まったんです」
───指示通りにやってないじゃないか、と。
「カフェスタッフ全員が集められて、客をなめてるのかって話になって。だから私は『いや、店長がこれでいいって言ったので』って話したんです。そしたら店長が『僕は何も指示してない。Yさんが勝手にやった』って言い出して……」
───最悪だ。
「おいおいと思ったけど、監督はもう私に怒りの矛先を向けてて。お前ふざけてんのか! ってラスクが飛んできたので、私もうるせえ! ってラスクを投げ返して、そのまま辞めました」
───すごい話だ……その後カフェはどうなったんでしょうか。
「結局その一件で私たち経験者が辞めてしまったので、予定通りオープンはできなかったみたいですね。中には私のことをかばって呼び戻そうとしてた人もいたそうですけど、監督はとにかく私のことが気に入らなかったらしい」
───でもよくあの監督に歯向かえましたね。言っても巨匠なんだし、会社の上司にキレるのとはちょっと訳が違うと思うんですけど。
「ああ……でも私にとっては巨匠じゃないし。ただの雇い主でしかなかったので」
───そこまで割り切れるのもすごいですね。
「でも他のスタッフはみんな監督のファンというか、それこそ監督の映画から出てきたような純粋な感じの子ばかりだったから……その中に私みたいなのが混ざってたら、向こうも相当嫌だったろうとは思うけど」
───なるほど……ちなみにYさんは美術館を辞めた後、何をされてたんですか?
「その後はしばらく地に潜ってました」
───地に?
「この一件で人間不信になって、働けなくなってしまって。しばらく病院にいましたね、アル中になって」
───アル中!?
「やっぱりあの時店長に、目の前で裏切られて責任をなすりつけられたのが耐えられなかったんです。これがきっかけでお菓子の仕事も辞めちゃったし、師匠とも疎遠になって」
───そんなにショックだったんですか。
「一応退職金としてけっこうな額のお金をもらったんだけど、そんなお金を残しておきたくもなかったので、それも全部飲んでしまい……アル中というか、今で言うところのうつ病とか引きこもりのような状態が1、2年続きました」
───思ってたより壮絶な話だった……興味本位で話を聞きに来たのが申し訳なくなってきたな。
「今となっては笑って話せますけどね。あとそのカフェも、今は色々なことが改善されてきちんと回ってるそうですよ。いろいろ話し合いをしながら、できる範囲でやっていきましょうっていう風に変わったんだと思う。まあ当時は、みんな未熟だったから」
───開館当初はみんな手探りだし、余裕もなかったんでしょうね。
そして今回は、事前にお願いしてその時のラスクを再現して作っていただけることに。
「まさか20年後に作ることになるとは……数奇な運命ですね」
材料はこちら。
・サンドイッチ用食パン(12枚カット)
・牛乳……100cc
・無塩バター……90g
・素精糖……280g
※前述の通り本来なら全てオーガニックの食品を使っていたそうだが、今回はスーパーで買えるもので代用している。またパンは厚さが約1cmのものを使用しているが、本当はもっと薄かったとのこと(専用の機械でカットしてたらしい)
まずは食パンを1/4にカットし、前日のうちに冷凍しておく。
続いて、牛乳・バター・素精糖を鍋に入れ、弱火にかけながら溶かす。
牛乳・バター・素精糖が溶けてよく混ざったら、鉄板に並べた食パンに刷毛で塗っていき……
180℃に熱したオーブンで20分焼けば完成!
───20年ぶりに当時のラスクを作ってみてどうでしたか?
「今はパティシエじゃないので全然楽しくできたんですけど、当時20代で尖ってた頃は、ラスクを作るっていう屈辱に耐えられなかったのを思い出しましたね」
───そんなに嫌だったんですか。
「元々フランス菓子のような綺麗なものが好きでパティシエになったので、なんでこんな地味なものを仕事で作らなきゃいけないんだってずっと思ってました。まあ私の考えが良くなかったと思うけど」
───確かに対極ですからね。
「今ならそういうものの良さもわかるけど、当時はわからなかったなあ……」
〜20分後〜
───そろそろ焼き上がりそうですか?
「そうですね……あっ!!」
───どうしました!?
「ちょっと焦げちゃった」
───監督が見たらキレて投げるかも。
───おいしい! 監督も一口食べれば投げなかったろうに……。
「そうですかね」
───このラスクのレシピ、「☆あの有名監督に投げつけた手作りラスク☆ 」っていう名前でクックパッドに投稿してもいいですか?
「☆で囲えばいいってもんじゃないのでやめてください」
───Yさんは美術館を辞めた後、監督の作品を観たことはあるんですか?
「一応何本かはありますよ。克服しようと思って映画館に観に行ったり、テレビでやってるのをたまたま観たり。でもまあ、こういうの作るんだね、くらいにしか思わなかった」
───そんなもんですか。
「あ、でも一本だけすごいなと思ったのはあった。今年の自粛期間中に観た作品なんですけど、今の時代に必要というか……何十年も前にこれを撮った想像力たるや、とは感じましたね」
───好きな映画になりましたか。
「うーん……すごく印象に残った作品ではあるけれど、『好きな映画は何ですか?』と聞かれたら名前は挙がらないかもしれない。元々考えさせられるようなものがあまり好きではないので」
───ちなみにYさんが好きな映画って何なんですか?
「基本的に邦画を中心に観てますけど、今一本挙げるとするなら『コンフィデンスマンJP』の劇場版です」
───それでは最後になりますが、今から当時のことを振り返ってどう思いますか?
「そうですね……まあ、若かったねえ、とは思います。当たり前だけど今の年齢ならやらないし。でも、あの出来事を通してちょっとはまともな人間になったのではないかなと」
───というと?
「それまでは仕事ができさえすればいいと思ってたので。会社っていうのは、仕事ができる人もできない人も色々な人が集まって成り立ってるのに、そういうことが私は全くわかってなかったんです。だから、なんで頑張って生産性を上げようとしてる私が怒られなきゃならないんだってずっと思ってた」
───協調性がなかったというか。
「まさにそうで、小さい頃からずっと協調性がないって言われ続けてたんです。でもあの一件があってさすがに自分と向き合わざるを得なくなり、そこでようやく協調性とか、人と仲良くやることを覚えたって感じですね」
───じゃあ後悔はしていない?
「はい。まあその後はアル中になったりしたけど、結果的にはまともな人間になったし、少しは人の気持ちもわかるようになったので、今となっては良かったと思いますよ」
───どんな出来事からでも人は成長できるんですね……今日はありがとうございました!
「父の再婚相手が、有名映画監督にラスクを投げつけたことがあるらしい」
このインパクトあるフレーズを聞き、初めは興味本位で話を聞きに行ったのだが、そこから見えてきたのは思わぬ人生模様だった。
「映画監督にラスクを投げつけた」というエピソードは、そこだけを切り取ればポップでコミカルだ。しかし、人生はギャグ漫画のように単純ではない。ラスクを投げつけるまでには様々な事情があって、ラスクを投げつけた後も人生は続いていく。当たり前のことだが、詳しく話を聞かなければ意識しなかったことだ。
もちろん、こういう珍事件を笑い話として聞くだけでも楽しい。でも、もう少し深く突っ込んでみることによって、ただ可笑しいだけではない人の営みの妙味のようなものを垣間見ることができたと思う。
今後、あの監督の作品を観返すたびに、私はこの日のラスクの味を思い出すことになるだろう。その圧倒的な才能に、一人反逆を示したパティシエがいたということを私は忘れない。